ママ・ライオン / ママ・ライオン
Mama Lion / Preserve Wildlife
RJ-5055
★ セクシージャケット 人気盤 ★
*ベーシストのニール・メリーウェザーが結成した
4人組のバンド、ヘヴィ・クルーザーに
女性ヴォーカルのリン・ケアリーを加えた編成。
リン・ケアリーのソウルフルなヴォーカルが魅力
2024年5月9日
2024年5月7日
25AP-623
★ 1972年 NYとLAでのライヴ録音作品 ★
*エドガー・ウィンター & ホワイト・トラッシュ
エドガーと後にBS&Tに参加するジェリー・ラクロア(vo)、
リック・デリンジャー(g)を中心にしたバンドの
ファンキーなソウル&ロックンロール満載の名ライヴ盤
「ロックンロール・フーチー・クー」では
兄ジョニー・ウィンターがゲスト出演
2024年5月2日
2024年4月28日
全国ポピュラー・ベストテン
かつて文化放送をキーステーションに
全国ネットされていた洋楽ランキング番組、タイトルは
「9500万人のポピュラー・リクエスト」
〜「オール・ジャパン・ポップ20」
〜「全国ポピュラー・ベストテン」
と変遷して行きましたが、1963年から2006年まで、
トータルでなんと43年間も続いた、
おそらく日本のラジオ史上最長寿の洋楽ランキング番組でした。
KBCラジオの「今週のポピュラー・ベストテン」が
1967年10月から2011年3月まで43年半の放送となりましたが、
こちらは厳密に言えば、半年ほどのブランクがおそらく二度ほどあった筈で、
ブランクなしの43年間は、今後二度と破られない金字塔と言えるでしょう。
「9500万人のポピュラー・リクエスト」は、1963年4月にスタート。
手元の資料によると、第1回のランキングのNo.1は
アルマ・コーガンの「グッドバイ・ジョー」。
翌週からはフォー・シーズンズの「シェリー」がトップを独走します。
その後を受けてトップに輝いたカスケーズの「悲しき雨音」は、
多少資料の抜けがあるものの、約15週くらいはNo.1の座に就いています。
翌年にはビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」がいち早くトップに立ち、
以降他の番組に較べても、特にビートルズの強さが目立ちました。
また英米のみならず、イタリア、フランスなどヨーロッパ産ポップスも大活躍。
他の番組が概ね20位までのランキングを発表していたのに対抗し、
差別化を図るためか、21位までのランキングを発表していました。
小島正雄さんのソフトな語り口が人気・・・との事ですが、
残念ながら僕自身は一足違いで、
実際にこの番組を聴くことはありませんでした。
1967年5月から、「オール・ジャパン・ポップ20」へとリニューアル、
DJは土屋恵(つちやけい)さんへと交替しています。
土屋さんは文化放送のアナウンス部長も務められていたそうです。
(前任の小島正雄さんは惜しくも、翌68年1月20日に亡くなりました)
僕がこの番組を聴き始めたのは、67年の11月頃からで、
ローリング・ストーンズやスコット・ウォーカーがやたら強かったり、
北九州・福岡地区の番組では必ず登場していた和製ポップス(GS)が
入っていなかったり、やや毛色の違ったランキングという印象を受けました。
途中からアシスタントに最年少女性ハムとしても知られる須藤典子さんが加わり、
その後みのもんたさんへとバトンタッチします。
須藤さんは当時可愛い声やルックスとは裏腹に、「ブサイク!」とか
結構辛辣な事を言っていたような記憶があります。
現在も舞台やテレビドラマに、女優として出演されているそうです。
みのもんたさんは・・・もう言うまでもないですね!!!
むしろ当時DJをされていた事の方が、
ピンと来ないという方が多くなってるのでは・・・。
1970年5月からは、従来の葉書のみによるランキングから、
電話リクエスト、レコード売り上げ、民放各局のオンエア・データ等を加味し、
コンピューターによって集計したランキングに変更になりました。
当時は他の番組に較べて、随分動きが遅いという印象がありましたが、
比較的偏りの少ないランキングである為、徐々に信頼度が高まって来ました。
他の番組があまりにも動きが速くなり過ぎて、
ついて行くのが大変になって来たというのも一因だったでしょう。
「オール・ジャパン・ポップ20」は全国の民放各局にもネットされていました。
当初は福岡地区にもネットされていましたが(多分RKBだったと思います)
途中から何故かネットされなくなってしまいました。
そのためこの番組は山口放送で聴くようになりました。
因みに北九州地区では、山口放送が比較的きれいに入るため、
一時はKBCやRKBに負けないくらい、よく聴いてましたね。
音楽番組が結構充実していて、DJも当時若手バリバリの井上雪彦さんや、
女性アナの高山ひろ子さん(確か?)、
長野さん(すみません、下のお名前は忘れました)達が人気がありました。
山口放送での「オール・ジャパン・ポップ20」は、
年末年始の放送が無かったり、途中から一週遅れになったり、
突然時間帯が変わったり(深夜が多かったです)、
半年間お休みになったり・・・
思えば結構泣かされました。(汗)
70年代後半から80年代にかけての、福岡の洋楽のランキング番組は、
KBCラジオの「今週のポピュラー・ベストテン」と
FM福岡の「FMポピュラー・ヒット・パレード」の二本立て
といった状況が続き、その一方で「オール・ジャパン・ポップ20」は、
せんだみつおさん、ばんばひろふみさん、川島なお美さん、梶原茂さん達が、
歴代のDJを務め継続して行きました。
1985年には「オール・ジャパン・トップ20」にタイトル変更、
小林克也さんがDJを務めましたが、すぐに八木誠さんによる
「全国ポピュラー・ベストテン」に変更になりました。
このあたりの事情は当時よく判らなかったのですが、
「オール・ジャパン・トップ20」は文化放送の単独制作となるもので、
本来番組を企画・制作していた「火曜会」が、
「オール・ジャパン・ポップ20」を
「全国ポピュラー・ベストテン」の番組名に変更し、
全国ネットを続けて行ったようです。
その時点でも関東地区のみでは、依然として
「オール・ジャパン・トップ20」の方が放送されていたという事です。
80年代半ばあたりは、MTVの大ブームで洋楽がお茶の間にまで
普通に入り込んでくる時代で、まさに洋楽花盛りの状態でした。
しかし80年代も後半に差しかかると、MTVブームも頭打ちとなり、
音楽ジャンルの細分化も進み、一本のヒット・チャートのみで、
その時々に好まれている曲を全て表現して行くのが、
非常に困難になって来ました。
1989年の「FMポピュラー・ヒット・パレード」の終焉が
その状況を物語っているでしょう。
その時点ではまだ「全国ポピュラー・ベストテン」の
山口放送でのネットは続いていましたが、90年代に入ってからは
中断〜再開を繰り返す、不安定な状態となりました。
それでも90年代後半から2000年くらいにかけては、
比較的放送されている時期の方が多かったようですが、
それ以降は完全に山口でのネット放送はなくなり、
番組自体も2006年4月2日をもって、終了することとなります。
まあその頃にはすっかりインターネット社会となり、
番組そのものは聴けなくても、
ランキングは番組のHP等で知る事が出来ましたが。
「9500万人のポピュラー・リクエスト」
〜「オール・ジャパン・ポップ20」
〜「全国ポピュラー・ベストテン」
と長い長い歴史を持つこの番組のランキング資料は、
完全ではありませんが、かなり手元にあります。
それらはアメリカやイギリスとはまた異なる、
日本における洋楽文化の歴史として、
大きな価値を持つものと言えるでしょう。
それらを紹介し楽しんでいただけるような機会を、
色々な手段でこれから増やして行こうと思っています。
pops1967の日記(2009-11-08)より転載 ※一部加筆あり
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