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‘ラジオ’ カテゴリーのアーカイブ

ラジオ出演中! ★AIR STATION HIBIKI 『Life & Music』

2024年9月18日

ラジオ出演中! 

★AIR STATION HIBIKI 『Life & Music』

 

アナログレコード担当の中嶋ひろ志です。僕はファンファン運営の傍らで、地元北九州を中心に音楽イベントの企画やラジオ出演をしております。ラジオ関係では現在コミュニティFM局のAIR STATION HIBIKIで、毎月第三火曜日の午前11~12時に音楽番組『Life & Music』を生放送しています。スタジオは北九州市八幡東区平野の「ココクルときめきスタジオ」からで、周波数は88.2MHzです。

 

先日9月17日の放送は、ミュージック・ライフの元編集長、水上はるこさんをお招きしてお送りしました。水上さんは『最低で最高のロックンロールライフ』を出版されたばかりで、海外アーティストのたくさんの良いお話とちょっぴり悪いお話をお聞きすることが出来ました。2020年の2月に北九州の門司で、水上さんと福岡のレジェンドDJである故・松井伸一さんのトークイベントを開催しました。実は水上さんがロック大好きになったのは、かつて松井伸一さんがKBCラジオで担当されていた番組の影響であったことを知りました。松井さんのどの番組を当時聴いておられたかも詳しくお話しいただきました。とても貴重なお話満載の番組になりました。当日の放送はYOU TUBEでもアーカイヴが残っていますので、ご覧ください。

 

 

 

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ラジオ出演中! ★AIR STATION HIBIKI 『Life & Music』

2024年5月23日

ラジオ出演中! 

★AIR STATION HIBIKI 『Life & Music』

 

アナログレコード担当の中嶋ひろ志です。僕はファンファン運営の傍らで、地元北九州を中心に音楽イベントの企画やラジオ出演をしております。ラジオ関係では現在コミュニティFM局のAIR STATION HIBIKIで、毎月第三火曜日の午前11~12時に音楽番組『Life & Music』を生放送しています。スタジオは北九州市八幡東区平野の「ココクルときめきスタジオ」からで、周波数は88.2MHzです。

 

先日5月21日の放送は、シンガー彩夏さん、ラジオMC&イラストレーター イエーイ岩崎さんをお迎えしました。(実はお二人は友だち) ソフトバンクホークス、KBCナイター中継のテーマソング「いざゆけ!~We will be Winner~」などをお送りしました。また最近では高齢者の方々を対象に昭和歌謡を歌う機会も多い彩夏さんからのリクエストで、西田佐知子さんの名曲「アカシアの雨がやむとき」を、彩夏さんの歌と僕のピアノで、スタジオから生演奏でお届けしました。当日の放送はYOU TUBEでもアーカイヴが残っていますので、ご覧ください。(著作権の関係で一部音源は無音となります)

 

 

 

 

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全国ポピュラー・ベストテン

2024年4月28日

全国ポピュラー・ベストテン

 

かつて文化放送をキーステーションに
全国ネットされていた洋楽ランキング番組、タイトルは
  「9500万人のポピュラー・リクエスト」
 〜「オール・ジャパン・ポップ20」
 〜「全国ポピュラー・ベストテン」
と変遷して行きましたが、1963年から2006年まで、
トータルでなんと43年間も続いた、
おそらく日本のラジオ史上最長寿の洋楽ランキング番組でした。

 

KBCラジオの「今週のポピュラー・ベストテン」が

1967年10月から2011年3月まで43年半の放送となりましたが、
こちらは厳密に言えば、半年ほどのブランクがおそらく二度ほどあった筈で、
ブランクなしの43年間は、今後二度と破られない金字塔と言えるでしょう。

 

「9500万人のポピュラー・リクエスト」は、1963年4月にスタート。
手元の資料によると、第1回のランキングのNo.1は
アルマ・コーガンの「グッドバイ・ジョー」。
翌週からはフォー・シーズンズの「シェリー」がトップを独走します。
その後を受けてトップに輝いたカスケーズの「悲しき雨音」は、
多少資料の抜けがあるものの、約15週くらいはNo.1の座に就いています。
翌年にはビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」がいち早くトップに立ち、
以降他の番組に較べても、特にビートルズの強さが目立ちました。
また英米のみならず、イタリア、フランスなどヨーロッパ産ポップスも大活躍。
他の番組が概ね20位までのランキングを発表していたのに対抗し、
差別化を図るためか、21位までのランキングを発表していました。
小島正雄さんのソフトな語り口が人気・・・との事ですが、
残念ながら僕自身は一足違いで、
実際にこの番組を聴くことはありませんでした。

 

1967年5月から、「オール・ジャパン・ポップ20」へとリニューアル、
DJは土屋恵(つちやけい)さんへと交替しています。
土屋さんは文化放送のアナウンス部長も務められていたそうです。
(前任の小島正雄さんは惜しくも、翌68年1月20日に亡くなりました)
僕がこの番組を聴き始めたのは、67年の11月頃からで、
ローリング・ストーンズやスコット・ウォーカーがやたら強かったり、
北九州・福岡地区の番組では必ず登場していた和製ポップス(GS)が
入っていなかったり、やや毛色の違ったランキングという印象を受けました。
途中からアシスタントに最年少女性ハムとしても知られる須藤典子さんが加わり、
その後みのもんたさんへとバトンタッチします。
須藤さんは当時可愛い声やルックスとは裏腹に、「ブサイク!」とか
結構辛辣な事を言っていたような記憶があります。
現在も舞台やテレビドラマに、女優として出演されているそうです。
みのもんたさんは・・・もう言うまでもないですね!!!
むしろ当時DJをされていた事の方が、
ピンと来ないという方が多くなってるのでは・・・。

 

1970年5月からは、従来の葉書のみによるランキングから、
電話リクエスト、レコード売り上げ、民放各局のオンエア・データ等を加味し、
コンピューターによって集計したランキングに変更になりました。
当時は他の番組に較べて、随分動きが遅いという印象がありましたが、
比較的偏りの少ないランキングである為、徐々に信頼度が高まって来ました。
他の番組があまりにも動きが速くなり過ぎて、
ついて行くのが大変になって来たというのも一因だったでしょう。

 

「オール・ジャパン・ポップ20」は全国の民放各局にもネットされていました。
当初は福岡地区にもネットされていましたが(多分RKBだったと思います)
途中から何故かネットされなくなってしまいました。
そのためこの番組は山口放送で聴くようになりました。
因みに北九州地区では、山口放送が比較的きれいに入るため、
一時はKBCやRKBに負けないくらい、よく聴いてましたね。
音楽番組が結構充実していて、DJも当時若手バリバリの井上雪彦さんや、
女性アナの高山ひろ子さん(確か?)、
長野さん(すみません、下のお名前は忘れました)達が人気がありました。
山口放送での「オール・ジャパン・ポップ20」は、
年末年始の放送が無かったり、途中から一週遅れになったり、
突然時間帯が変わったり(深夜が多かったです)、
半年間お休みになったり・・・
思えば結構泣かされました。(汗)

 

70年代後半から80年代にかけての、福岡の洋楽のランキング番組は、
KBCラジオの「今週のポピュラー・ベストテン」と
FM福岡の「FMポピュラー・ヒット・パレード」の二本立て
といった状況が続き、その一方で「オール・ジャパン・ポップ20」は、
せんだみつおさん、ばんばひろふみさん、川島なお美さん、梶原茂さん達が、
歴代のDJを務め継続して行きました。
1985年には「オール・ジャパン・トップ20」にタイトル変更、
小林克也さんがDJを務めましたが、すぐに八木誠さんによる
「全国ポピュラー・ベストテン」に変更になりました。
このあたりの事情は当時よく判らなかったのですが、
「オール・ジャパン・トップ20」は文化放送の単独制作となるもので、
本来番組を企画・制作していた「火曜会」が、
「オール・ジャパン・ポップ20」を
「全国ポピュラー・ベストテン」の番組名に変更し、
全国ネットを続けて行ったようです。
その時点でも関東地区のみでは、依然として
「オール・ジャパン・トップ20」の方が放送されていたという事です。

 

80年代半ばあたりは、MTVの大ブームで洋楽がお茶の間にまで
普通に入り込んでくる時代で、まさに洋楽花盛りの状態でした。
しかし80年代も後半に差しかかると、MTVブームも頭打ちとなり、
音楽ジャンルの細分化も進み、一本のヒット・チャートのみで、
その時々に好まれている曲を全て表現して行くのが、
非常に困難になって来ました。
1989年の「FMポピュラー・ヒット・パレード」の終焉が
その状況を物語っているでしょう。
その時点ではまだ「全国ポピュラー・ベストテン」の
山口放送でのネットは続いていましたが、90年代に入ってからは
中断〜再開を繰り返す、不安定な状態となりました。
それでも90年代後半から2000年くらいにかけては、
比較的放送されている時期の方が多かったようですが、
それ以降は完全に山口でのネット放送はなくなり、
番組自体も2006年4月2日をもって、終了することとなります。
まあその頃にはすっかりインターネット社会となり、
番組そのものは聴けなくても、
ランキングは番組のHP等で知る事が出来ましたが。

    
 「9500万人のポピュラー・リクエスト」
〜「オール・ジャパン・ポップ20」
〜「全国ポピュラー・ベストテン」
と長い長い歴史を持つこの番組のランキング資料は、
完全ではありませんが、かなり手元にあります。
それらはアメリカやイギリスとはまた異なる、
日本における洋楽文化の歴史として、
大きな価値を持つものと言えるでしょう。
それらを紹介し楽しんでいただけるような機会を、
色々な手段でこれから増やして行こうと思っています。

 

pops1967の日記(2009-11-08)より転載 ※一部加筆あり

 

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今週の歌謡ベストテン

2024年4月15日

今週の歌謡ベストテン

 

 

今回は久々にチャートのデータに関するお話です。
僕が歌謡曲を聴き始めた昭和41年当時、
地元福岡の民放ラジオ番組で、最も高い数字を取っていたのが、
KBCラジオで日曜の午前11時台に放送されていた
「今週の歌謡ベストテン」です。
TBSテレビの「歌謡曲ベストテン」は、
上位10曲を順位を付けずに発表するものでしたから、
KBCの「今週の歌謡ベストテン」が、
僕にとってのカウントダウン番組の初体験となります。

 

 

担当は間島栄一さんと陣内(じんのうち)洋子さんでした。
間島さんはKBCの局アナの方で、
陣内さんはフリーの喋り手の方だったと思います。
おふたりとも真面目・誠実を絵に描いたような喋りをされる方です。
イントロに乗せて曲紹介を行なう「インはめ」の手法が基本で、
間島さんはあらかじめランキングを知らされており、
発表されて行くランキングに、陣内さんが
リスナーの気持ちを代表して、反応するというパターンでした。
葉書リクエストの数も、先週と今週の分が発表され、
ご贔屓の歌手・曲の上昇・下降に一喜一憂するという
ファン心理をしっかりと押さえた番組になっていたと思います。

 

 

当初は30分番組で、曲がフルコーラス流れる事は殆どありませんでしたが、
後に時間が多少延長になってからは、初登場と上位曲はフルコーラス、
更にベスト3に行く前には、ベストテン入りが期待される曲や
時にはゲストを招いての、ハイライト・コーナーが設置されました。
また6位まで発表した時点で、10〜6位のランキングを
先週と今週で比較し、行方不明曲が上位進出か、
圏外転落かを予想するという事もやっていました。
そして2位の間奏の部分で、提クレ(提供クレジット)が入ります。

 

 

当時は御三家(橋幸夫さん・舟木一夫さん・西郷輝彦さん)の全盛期で、
概ね10曲の内の半分は、この三人によって占められていました。
特にダントツの強さは舟木一夫さんで、
年末に行なわれる、その年のNo.1獲得曲の特集でも、
昭和40年 あゝりんどうの花咲けど
  41年 絶 唱
  42年 夕 笛
  43年 残 雪
と、それぞれの年の最長No.1獲得曲が舟木一夫さんでした。
その他、石原裕次郎さん、美空ひばりさんも強く、
加山雄三さん、三田明さんは、ベストテン入りはするものの、
当初は他の番組に較べて、今ひとつ伸びずという印象でした。
また布施明さん、伊東ゆかりさん、森進一さん、青江三奈さん
といった人達は、レコードは売れていたものの、
ラジオのリクエスト番組では、ずっと苦戦を強いられており、
この番組でも例外ではありませんでした。
なお森進一さんと伊東ゆかりさんは、
かなり後になってから、やっとベストテン入りを果たしています。

 

 

また僕が聴き始めた頃は、圧倒的に男性優位の状態でしたが、
その後は、黛ジュンさんを筆頭に、いしだあゆみさん、小川知子さん、
奥村チヨさん、由紀さおりさん、渚ゆう子さん達の活躍により、
女性優位の時代に入りました。
昭和45年頃の演歌全盛期にも、この番組に関しては演歌一色というイメージは薄く、
舟木一夫さん、西郷輝彦さん、三田明さん、加山雄三さんは、依然として健在で、
そのまま、にしきのあきらさん、尾崎紀世彦さん、沢田研二さん、森田健作さん、
三人娘(南沙織さん・小柳ルミ子さん・天地真理さん)
新御三家(郷ひろみさん・野口五郎さん・西城秀樹さん)
といった70年代を代表する人達へと、受け継がれて行きます。
演歌系でこの時期に健闘したのは、森進一さん、五木ひろしさん、
内山田洋とクール・ファイブ、くらいでしょうか。

 

 

昭和49年には、強力なライバル番組「RKBベスト歌謡50」がスタート、
その影響からか、昭和50年には「今週の歌謡ベストテン」は
番組のリニューアルを図ります。
ランキングの発表を20位まで伸ばし、時間稼ぎのためか、
イントロやアウトロをカットするというやり方を始めました。
喋りも次第に若い層を意識したものに変えて行きましたが、
明らかに間島さん・陣内さんのイメージには合わず、
新たなリスナー層を獲得出来ず、従来のファン層をも失うという
結果に終わってしまい、間もなく番組は終了しました。
また一時期フォーク系の曲だけは、「今週のフォーク・ベストテン」として
別番組で扱っていたこともあります。
ファン心理をしっかりと理解し、きっちり決まったフォーマットで展開され、
リスナーの支持を得ていた番組を、中途半端にいじくった事が、
失敗に終わった原因と言って良いのではないでしょうか。

 

 

それでは、かつて地元の名物番組だった「今週の歌謡ベストテン」のランキングで、
特に印象的だったいくつかの曲の動きをご紹介しておきましょう。
当時のリーダー的存在は舟木一夫さんですが、
よくその間に割って入ったのが橋幸夫さんでした。
19週間No.1を続けた「絶唱」(舟木)をその座から引きずり下ろしたのが、
「シンガポールの夜は更けて」(橋)、しかし翌週には「絶唱」がトップに返り咲き、
「シンガポール〜」はあっという間に、ベストテン下位まで落ちて行きました。
「一心太助江戸っ子祭り」(舟木)と「殺陣師一代」(橋)は
ほぼ互角の強さで激しいトップ争いを展開。
通算14週No.1となった「夕笛」(舟木)は、
途中で1週だけ「若者の子守唄」(橋)にトップの座に割り込まれています。
「センチメンタル・ボーイ」(舟木)と「佐久の鯉太郎」(橋)の場合は、
橋幸夫さんの方が優勢でした。
昭和43年以降は橋さんがトップに立つこと自体が少なくなり、
舟木一夫さんの好敵手は、西郷輝彦さんに取って代わって行きました。
「オレは坊っちゃん」と「ガラスの涙」、「銀色の恋」と「友達の恋人」、
「青春の鐘」と「運命のひと」、「永訣の詩」と「涙は眠れない」は、
いずれも前者が舟木さん、後者が西郷さんで、
どれも抜きつ抜かれつの、激しいトップ争いを繰り広げました。

 

 

西郷輝彦さんの「月のしずく」は、2位止まりながらその位置に連続15週留まり、
舟木一夫さんの「くちなしのバラード」「残雪」の二代に渡って、
トップにぴったりとくっついており、2位に根が生えた!と言われました。
続いてベストテン入りした、西郷さん自身の新曲「虹を買おう」も
結局「月のしずく」を抜くことなく、先に圏外に去ってしまったほどです。
西郷さんはベストテン内でのジャンプUP記録も多いようです。
最大ジャンプUPは、10位→2位の
「サンフランシスコ霧の港町」(西郷)、「佐久の鯉太郎」(橋)の2曲。
ジャンプUPでのNo.1到達記録は、
「涙は眠れない」(西郷)の8位→8位→1位。
またベストテン入り以来、最短期間でのNo.1到達記録は、
上記の「涙は眠れない」に加えて、「夕笛」(舟木)の10位→6位→1位、
「青春の鐘」(舟木)の10位→7位→1位、
「瀬戸の花嫁」(小柳ルミ子)の7位→4位→1位。(いずれも3週目にトップへ)
美空ひばりさんの「花と剣」は、初登場5位を記録、ベストテン入りの最高記録です。
また初登場ではありませんが、石原裕次郎さんは
「帰らざる海辺」が4位、「港町・涙町・別れ町」が5位で、再登場しています。

 

 

三田明さんは、当時のライバル番組「RKBゴールデン・ヒット・パレード」や
「全国歌謡ベストテン」などでは、御三家に劣らぬ強さを発揮していましたが、
この番組では結構苦戦していた事は前述の通りです。
特に「夕子の涙」が9位を記録した後の約2年間は、
「真珠の恋人」が辛うじて10位に入ったのみでした。
しかし昭和44年の夏に、突如「太陽のカーニバル」がベストテン入り、
以前なかったほどの勢いで2位まで上がり、この番組での最高位となりました。
この曲は他の殆どの番組でトップを取っています。
しかしオリコン・チャートでは、なんと34位止まりでした。

 

 

堀田利夫さんは当時はまだ無名の新人といった印象でしたが、
昭和41年秋にベストテン入りした4枚目のシングル「哀しみのギター」が、
上がったり下がったりしながらも、しぶといチャート・アクションを続け、
なんとベストテン入り17週目にして、一度だけトップの座に就きます。
その後も粘りに粘って、実に28週もの間ベストテンに入り続けました。
これは「絶唱」の27週を上回る最長記録です。
堀田さんはその後、ムード歌謡コーラス・グループのジョイベルス東京で
リード・ヴォーカルを務めた後、またソロ歌手として活動しています。

 

 

他に意外に長期に渡ってベストテン入りしていた曲としては、
「北国の青い空」奥村チヨ(19週、最高3位)
「ここは赤坂」島和彦(18週、最高1位1週)
「わたしだけのもの」伊東ゆかり(18週、最高1位2週)
「心の旅路」千昌夫(19週、最高2位)
といったところが挙げられるでしょう。
その他、意外なNo.1曲としては、
「この愛が終るなんて」島倉千代子
「ちょっと淋しいの」野村真樹
「僕はおまえが好きなんだ」にしきのあきら
なども挙げられると思います。

 

 

男性歌手圧倒的優位の状況を一変させた功労者である黛ジュンさんは、
10週連続No.1の「雲にのりたい」を筆頭に合計5曲、
通算26週に渡って、トップの座を維持していた事になります。

 

 

南沙織さんは「17才」でデビュー以来、9曲連続でNo.1を獲得。
(但しすぐに天地真理さんに破られますが・・・)
なお良きライバルの小柳ルミ子さんは、2曲目の「お祭りの夜」が
2位止まりのため、連続No.1記録は達成出来ませんでした。
因みに南沙織さんは、No.1カムバック、ベスト3カムバック、
ベストテン・カムバック等がやたらと多かったのですが、
8曲目、9曲目のNo.1あたりになると、もうハラハラされどおしでした。
南沙織さんの「色づく街」がジワジワ上昇を続けて2位まで来た頃、
小柳ルミ子さんの「十五夜の君」がトップを続けていました。
「十五夜の君」が5週目のトップに入った時、「色づく街」は3位に後退し、
入れ替わって西城秀樹さんの「ちぎれた愛」が2位に上がりました。
この時点で「色づく街」のトップ奪回は、ほぼ絶望的と見られていました。
しかし翌週には「十五夜の君」が3位に後退し、
「ちぎれた愛」が初のトップに輝きましたが、
同時に「色づく街」が奇跡の2位カムバックを果たし、
更に翌週には「ちぎれた愛」をも追い抜いて、「色づく街」は
悲願の連続8曲目のNo.1を1週だけですが獲得したのです!
また次の曲「ひとかけらの純情」は、5位、6位あたりを
ウロウロしている隙に、小坂明子さんの「あなた」が
あれよあれよという間に、追い抜いて行ってしまったのです。
程なく「あなた」はトップに立ちましたが、その座は2週と意外に短く、
続いてトップを取った、郷ひろみさんの「モナリザの秘密」も
2週間のトップに留まりました。
そしてその間も、ジワジワと上昇を続けていた「ひとかけらの純情」は
またしても1週だけですが、No.1を獲得する事が出来たのです。
次の曲「バラのかげり」がベストテン入りした頃に、
僕は大学進学のため上京したので、番組を聴けなくなってしまいました。
そしてその年の年末に放送されたNo.1特集では、
「ひとかけらの純情」しか登場しなかったので、
南沙織さんの連続No.1記録は、この曲を以て途絶えてしまった訳です。

 

 

それでは最後に僕が番組を聴いていた

昭和41年8月~49年3月のトータル・チャートをご紹介しましょう。

 

 1 絶唱/舟木一夫
 2 夕笛/舟木一夫
 3 月のしずく/西郷輝彦
 4 夕月/黛ジュン
 5 哀しみのギター/堀田利夫
 6 オレは坊っちゃん/舟木一夫
 7 残雪/舟木一夫
 8 雲にのりたい/黛ジュン
 9 夜霧よ今夜も有難う/石原裕次郎
10 一心太助江戸っ子祭り/舟木一夫
11 情熱/西郷輝彦
12 心配だから来てみたけど/舟木一夫
13 愛の旅路を/内山田洋とクール・ファイブ
14 静かに静かに/西郷輝彦
15 願い星叶い星/西郷輝彦
16 こぼれ花/石原裕次郎
17 空に太陽がある限り/にしきのあきら
18 真夏のあらし/西郷輝彦
19 愛する人はひとり/尾崎紀世彦
20 夜霧の果てに/舟木一夫
21 さよならをもう一度/尾崎紀世彦
22 わたしだけのもの/伊東ゆかり
23 夏子の季節/舟木一夫
24 漁火恋唄/小柳ルミ子
25 純潔/南沙織
26 わたしの城下町/小柳ルミ子
27 殺陣師一代/橋幸夫
28 手紙/由紀さおり
29 真赤な太陽/美空ひばり、ブルー・コメッツ
30 運命のひと/西郷輝彦
31 くちなしのバラード/舟木一夫
32 永訣の詩/舟木一夫
33 恋のメキシカン・ロック/橋幸夫
34 ひとりじゃないの/天地真理
35 ちいさな恋/天地真理
36 ガラスの涙/西郷輝彦
37 ふたりの日曜日/天地真理
38 ブルー・トランペット/舟木一夫
39 瀬戸の花嫁/小柳ルミ子
40 京のにわか雨/小柳ルミ子
41 花嫁/はしだのりひことクライマックス
42 ここは赤坂/島和彦
43 霧のかなたに/黛ジュン
44 長崎から船に乗って/五木ひろし
45 若葉のささやき/天地真理
46 若者の子守唄/橋幸夫
47 北国の青い空/奥村チヨ
48 ともだち/南沙織
49 紫のひと/舟木一夫
50 三日月のバロック/西郷輝彦

 

pops1967の日記()より転載 ※一部加筆あり

 

 

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全国歌謡ベストテン

2024年4月13日

全国歌謡ベストテン

 

 

さてさて久々のチャートネタですが、
今回は文化放送をキー局に全国ネットされていた、
歴史的な邦楽ランキング番組のご紹介です。
その名も「全国歌謡ベストテン」。
スタートは1962年のことですが、新聞の縮刷版でラテ欄を調べたところ、
当初はナイター期間中は半年間休みになってたり、
結構ブランクがあったようです。
尤もたとえキー局で放送されていなくても、
ネット局ではちゃんと放送されているという、
いわゆる「裏送り」というやり方もあるので、
ランキング自体は連続して作成されていたのか、当時の詳細は不明です。

 

 

当初のパーソナリティは小野俊雄さん、

そして2代目のパーソナリティにあたる方が、
僕の大学時代の先生でもある、茂木幹弘さんです。
「ユア・ヒット・パレード」の初代DJとして知られる方ですが、
僕にとっては「全国歌謡ベストテン」が先生との出逢いになります。
当初は葉書リクエストのみによるランキングで、
全国各地区から集計結果が速報で入って行き、
番組最後に総合ランキングを決定、ベスト30を一気に発表します。
この頃は音楽番組というよりは、むしろ選挙速報的な
報道番組に近い雰囲気を醸し出していました。
1970年からはコンピューター集計となり、
葉書の他に電話リクエスト、レコード売り上げ、選定委員会ランキング等、
様々なデータに基づくチャートとなります。
ただ全国集計である為か、動きが遅いという指摘がよく見受けられます。

 

 

以前たまたま知り合いになったあるラジオ関係の方から、
数々の番組の貴重なランキング・データを
お送りいただいた事がありましたが、
その中に「全国歌謡ベストテン」100回記念の
総合ランキングというのがありました。
1位はダントツで橋幸夫さんの「白い制服」。
他にも橋さんの曲は多数が上位に入っており、
当時のリーダー的役割だった事が感じられます。
次いで三橋美智也さんの強さも目立ち、
戦前からの流れを受け継ぐ流行歌の類いも、
まだまだ健在だった事が忍ばれます。
舟木一夫さんや西郷輝彦さんは、
デビューしてから日が浅く、やっとこさ御三家勢ぞろい
といった時期である事も判ります。

 

 

前述の新聞の縮刷版を見て行くと、
1964年には橋幸夫さんの「恋をするなら」が、
新記録達成!と書いてあります。
おそらく初の10週連続1位獲得であると思われます。
僕が実際にこの番組を聴くようになったのは、
1967年の1月頃からです。
それではここで、「全国歌謡ベストテン」の
各年度別の年間No.1曲を、判る範囲でお知らせしましょう。
なお年間チャートの発表が無かったり不明な年は、
  1位10点、2位9点・・・10位1点として単純集計、
そのポイントによるNo.1曲を、参考までに書いておきます。

 

 

昭和42年 夕 笛/舟木一夫
  10週間No.1という圧倒的な強さでした。
昭和43年 艶 歌/水前寺清子
  他の番組ではベストテン入りがやっとという状態でしたが、
  この番組のみでの強さが目立ちました。
昭和44年 京都・神戸・銀座/橋幸夫
  久々の大ヒットと言われましたが、この番組ではその前後にも
  「恋はせつなく」「赤い夕陽の三度笠」「乙女川」「東京ーパリ」
  が1位、「荒野のまごころ」が2位と、人気は今だ衰え知らずでした。
昭和45年 手 紙/由紀さおり
  5月からコンピューター集計によるランキングに変更、
  年間チャート発表なしですが、単純集計では10週間No.1のこの曲。
昭和46年 また逢う日まで尾崎紀世彦
  年間チャート発表があったかどうかは不明ですが、単純集計ではこの曲。 
昭和47年 ひとりじゃないの/天地真理
昭和48年 危険なふたり/沢田研二  
  年間チャート発表があったかどうかは不明ですが、単純集計ではこの曲。
昭和49年 よろしく哀愁郷ひろみ
  歌手別のランキング発表で、No.1は西城秀樹ですが、
  曲目別での単純集計ではこの曲。
昭和50年 私鉄沿線/野口五郎
昭和51年 横須賀ストーリー山口百恵
昭和52年 ウォンテッド/ピンク・レディー
昭和53年 UFO/ピンク・レディー
昭和54年 関白宣言/さだまさし
昭和55年 ダンシング・オールナイトもんた&ブラザーズ
昭和56年 ルビーの指環寺尾聰
昭和57年 待つわ/あみん
昭和58年 ガラスの林檎松田聖子
昭和59年 涙のリクエストチェッカーズ  
  歌手別のランキング発表で、No.1はやはりチェッカーズ
  曲目別での単純集計ではこの曲。
昭和60年 あの娘とスキャンダル/チェッカーズ
昭和61年 CHA-CHA-CHA/石井明美
  歌手別のランキング発表で、No.1は中森明菜
昭和62年 君だけに/少年隊
昭和63年 ガラスの十代/光GENJI
  なぜか前半のみの集計です。

平成 1年 Diamonds/プリンセス・プリンセス
平成 2年 夢を信じて/徳永英明
  この年も前半のみの集計です。
平成 3年 はじまりはいつも雨/ASKA
平成 4年 それが大事/大事MANブラザーズ・バンド
平成 5年 負けないで/ZARD
平成 6年 イノセント・ワールド/ミスター・チルドレン
平成 7年 TOMORROW/岡本真夜
平成 8年 アジアの純真パフィー
平成 9年 HOWEVER/GLAY
平成10年 (年間チャート発表不明)
平成11年 AUTOMATIC/宇多田ヒカル
平成12年 TSUNAMI/サザンオールスターズ
平成13年 Can You Keep A Secret?宇多田ヒカル

 

 

それで長い歌謡曲の歴史の中では、
当時の様子が正しく伝えられていないという状況も生まれます。
例えば「ラブユー東京」黒沢明ロス・プリモス
   「星影のワルツ」千昌夫
このあたりが昭和41年のヒットであるという記述をよく見ますが、
実際にヒットしたのは昭和43年のことです。
また「女のみち」ぴんからトリオ
  「なみだの操」殿さまキングス
このあたりがNo.1を独走したような記述もありますが、
実際にはそれはレコード売り上げを重視した番組のみであって、
当時大半を占めていた葉書のみによるランキングでは、
殆どの番組でベストテン入りがやっと、
特に僕の地元北九州・福岡地区の番組では、
ベストテン入りすら出来ずというところが多かったのです。
また当時のグループサウンズの扱い方の不徹底ぶりも
リアルタイムでない方々には、想像もつかないと思います。
謡曲の番組に入ることは少なく、
多くは洋楽の番組に登場していました。
しかし「全国歌謡ベストテン」では、このGSは比較的健闘しており、
特にタイガースは「僕のマリー」でいち早くベストテン入り、
「花の首飾り」「シー・シー・シー」はNo.1に輝いています。
しかし例えばジャッキー吉川ブルーコメッツは、
「何処へ」で初チャート入りを果たしたものの、
おそらくGS史上最大のヒットである筈の「ブルー・シャトウ」が
全く登場していないなど、かなり一貫性を欠くという印象です。

 

 

まあ当時の状況をなるべく正確に伝え、
音楽によって当時の雰囲気をよりリアルに描き出す、
いわゆる「音楽による時代考証」。
それが僕がやって行きたいと思うことのキーワードです。  

 

pops1967の日記()より転載 ※一部修正あり

 

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ユア・ヒット・パレード

2024年4月11日

ユア・ヒット・パレード

 

僕が大学時代にラジオ制作実習・卒論を担当していただいた先生が、
日本におけるランキング番組の草分け「ユア・ヒット・パレード」の
初代パーソナリティの方であったことは以前お知らせした通りです。
とは言っても「ユア・ヒット・パレード」自体、

もう30年以上も前に終了した番組であり、
ご存じない方のほうが圧倒的に多いと思いますので、
番組とその周辺の状況を、簡単にご紹介しておきましょう。

僕の印象では「ユア・ヒット・パレード」と言えば、
映画音楽が妙に強い、ちょっと変わった番組という感想を持っていましたが、
1976年4月の番組改編を持って姿を消す事になりました。
まさに僕が茂木先生に教えていただいていた真最中でした。

当時映画音楽は既に数多い音楽ジャンルの一つに過ぎないという位置付けにあり、
映画音楽中心の番組の存在価値が、

希薄になって来ていたという印象は否めません。
因みにRKBラジオで放送されていた、
鬼橋美智子さん(おにちゃん)の「ユア・ヒット・パレード」は、
全くの別番組ですが、洋楽の日にはオリジナルの方の
「ユア・ヒット・パレード」の話題が取り上げられる事も多々ありました。

 

文化放送の「ユア・ヒット・パレード」は、1955年10月1日にスタート。
実はその前に既に高崎一郎さんによる同種の番組が存在したそうですが、
「ユア・ヒット・パレード」の知名度が圧倒的に高く、
全国ネットもされていたので、日本におけるランキング番組の草分けと言えば、
「ユア・ヒット・パレード」を指す事が多いようです。
毎週土曜日の夜8:00〜8:30の30分番組で、パーソナリティは
文化放送の茂木幹弘・田中まり子、両アナウンサーが担当しました。
当時はまだテレビはあまり普及しておらず、最大の娯楽と言えば映画という時代、
そのため映画音楽を中心とした番組作りが特徴でした。

 

番組の構成はベストテン(後にベスト20)のランキングを紹介し、
上昇曲の中から選出した曲、及び上位3曲を放送するというもので、
途中に新曲紹介と新着映画紹介のコーナーを設けていました。
最初のランキングは2週目の10月8日に放送されました。

 1 ロック・アラウンド・ザ・クロック/ビル・ヘイリーと彼のコメッツ
 2 ベニスの夏の日(旅情)/ロッサノ・ブラッツィ
 3 はだしのボレロ/ユーゴ・ウィンターハルター楽団
 4 恋人よわれに帰れ/トニー・マーティン
 5 パリのお嬢さん/ジャクリーヌ・フランソワ
 6 モンマルトルの丘/コラ・ヴォケール
 7 セレソ・ローサ/ペレス・プラード楽団
 8 チャ・チャ・チャは素晴しい/エンリケ・ホリン
 9 デビー・クロケットの唄/ウォルター・シューマン
10 グリズビーのブルース/ラリー・アドラー

上位3曲を映画音楽が独占したということで、大いに話題になったようです。
更に3週後の10月29日には、ヴィクター・ヤング楽団の「エデンの東」が
ベストテン入りしますが、この曲こそ78週間No.1獲得(不連続)、
更にリバイバル公開時の1963年、1971年にもNo.1となる、
おそらく日本の洋楽史上最大のヒット曲なのです!

 

主演のジェームス・ディーンが自動車事故により急死するという悲劇が、
この曲の人気を決定的なものにし、番組には毎週毎週
エデンの東」への「涙のリクエスト」が殺到したそうです。

 

「ユア・ヒット・パレード」は翌1956年7月15日から、
毎週日曜日の夜9:30〜10:00というゴールデン・タイムに移動、
その直後にロックン・ロールの王者、エルヴィス・プレスリーが、
「ハートブレイク・ホテル」で初のベストテン入りを果たしています

 

続いて1957年1月9日には、ラジオ東京(現TBSラジオ)が
洋楽のランキング番組「今週のベスト10」をスタートさせました。
当初は毎週水曜日の午後2:05〜3:00という、
学生や勤め人にはいささか聴き辛い時間帯でした。
(当時一般家庭にテープ・レコーダーなどあろう筈もなかった時代です)

 

映画音楽もランク入りしてはいましたが、どちらかと言えば
エルヴィス・プレスリーパット・ブーンに代表される
ポピュラー・シンガーの歌の方が強かったようです。
またこちらでも「エデンの東」はロング・ヒットとなりましたが、
あまりに強すぎるため遂に引退という形でランキングから外してしまいました。
随分と抗議の葉書が集まったようですが、

結局引退取り消しはしなかったそうです。

 

1958年にはポール・アンカが来日を果たし、爆発的な人気を集めました。
(もっとも素行面では色々とあったようですが)
特に「ユア・ヒット・パレード」では、6月29日放送分で、
1位「君はわが運命」、2位「ダイアナ」、3位「クレイジー・ラブ」
4位の「エデンの東」をはさんで、5位にまたまた「ロマンスの鐘は鳴る」と、
なんとポール・アンカ1人で上位5曲中、4曲を独占。
この年の年間チャートにも、ベストテン内に3曲を送り込んでいます。

 

またこの年には音楽雑誌「ミュージック・ライフ」が7月号より、
主要レコード店の集計による洋・邦のポピュラーの売上ランキングの掲載を開始。
7月号に掲載された5月の売上でも、

外国盤の上位はポール・アンカが独占しています

1959年にはテレビの「ザ・ヒット・パレード」がスタート、
更に1960年代に入ると、

ニッポン放送の「キャンディ・ベスト・ヒット・パレード
文化放送の「9500万人のポピュラー・リクエスト」も参入。
ヒット・パレード黄金時代が繰り広げられ、
「ユア・ヒット・パレード」はそのリーダー的役割を果たし続けました。

 

その辺りの状況は、また次の機会にということで・・・
なお今回書きました中で、主に番組初期の状況につきましては、
学生時代に茂木幹弘先生から直接お聞きした話に基づいています。

 

pops1967の日記)より転載

ラジオのベストテン番組あれこれ ★文化放送『全国歌謡ベストテン』

2023年10月14日

ラジオのベストテン番組あれこれ 

★文化放送『全国歌謡ベストテン』

 

アナログレコード担当の中嶋ひろ志です。僕は小学5年から歌謡曲の、小学6年からポピュラーのベストテン番組を聴き始め、ランキングの記録を取るようになりました。ファンファンのお客さまからも、これまでにランキングのお問い合わせをいただいたり、お持ちのランキングの資料を送っていただいたり、やり取りをしている方が何人かいらっしゃいます。ポピュラーのランキングのデータをネット上で公開している方は結構いらっしゃいますが、歌謡曲のデータは非常に少なく、特にオリコン・シングル・チャートが正式にスタートする前の、1967年以前の資料は特にラジオ番組に関するものは殆ど見かけません。最近、文化放送の『オール・ジャパン・ポップ20』のランキングのお問い合わせをいただいた方が、同じく文化放送の『全国歌謡ベストテン』の資料を入手され送って下さいました。僕は1967年の1月くらいからリアルタイムで聴いていたので、ある程度は資料もあるのですが、それ以前はほぼ判らない状態でした。(以前に他の方から、番組スタートから100回目までの総合チャートといった、貴重な資料を送っていただいたことはあります)

 

今回送っていただいた資料を整理して分析しているのですが、次第に『全国歌謡ベストテン』の初期のランキングの特徴が明確になって来ました。同番組では以下のタイプの曲は、全くオミットされるか敬遠されていたような傾向が見られます。

 

1 任侠もの・ヤクザもの

2 コミックソング・ノベルティもの

3 お色気もの

4 絶叫タイプや悪声のシンガー

5 男性がうたう女歌

6 渡辺プロダクション関係(一部例外あり)

7 外国曲のカバー

8 長髪のGS(タイガースは例外)

  ※但し他の多くの番組ではGS自体が基本的に洋楽扱いで、

   歌謡ベストテンではランク外だった。

 

一方圧倒的に強かったのは、青春歌謡やクルーナー唱法のムード歌謡。いわば美声で丁寧に・端正に歌い上げるシンガーが非常に好まれていたようです。具体的に言えば、当時トップクラスの人気だったのは、いわゆる歌謡界の御三家、橋幸夫さん・舟木一夫さん・西郷輝彦さんという事になりますが、実は『全国歌謡ベストテン』では三田明さんは15曲以上のNo.1曲があり、西郷輝彦さんを上回っていました。また正直ピークを過ぎた印象のあった三橋美智也さん、春日八郎さん、フランク永井さん、三島敏夫さんあたりがまだまだ健在で、ベストテン入りを果たしていました。しかし村田英雄さん、三波春夫さんはさほどの勢いはありませんでした。その他の男性で強かったのは、坂本九さん、北原謙二さん、梶光夫さん、久保浩さんなどでした。一方女性歌手では歌謡界の女王美空ひばりさんを筆頭に、こまどり姉妹、畠山みどりさん、園まりさん、都はるみさんあたりが強かったのですが、次第に水前寺清子さんが頭角を現わして来ます。1968年の年間チャートでは「艶歌」で総合1位を獲るほどでした。僕の大学時代の恩師で、文化放送のアナウンサーだった茂木幹弘氏によると、三田明さんと水前寺清子さんには強力なファンクラブ組織が付いていたとの事でした。ファンクラブ組織によって投票が行われていた事になりますが、これを正当と見るか否かは意見の分かれるところでしょう。但し一人の方が一度に何枚も複数の投票をすることに対しては、厳しく目を光らせ一週につき全部で1票としていたようです。(『全国歌謡ベストテン』の番組内で言及がありました。)

 

茂木幹弘先生は僕が『全国歌謡ベストテン』を聴き始めた頃は、アナウンサーとしての役割に留まらず、文化放送のチーフプロデューサーとして全面的に番組制作に携わっておられたとのことです。茂木先生の印象はいつもにこやかで折り目正しい方でした。日本のヒットパレード番組の草分け『ユア・ヒット・パレード』で映画音楽を積極的に紹介したり、エルヴィス・プレスリー・ファンクラブの名誉会長を務められたり、ビートルズの魅力にも非常に早い段階で注目しておられました。そのような音楽に対する造詣の深さが、『全国歌謡ベストテン』の番組作りにも反映されていたと思われます。1969年頃には『全国歌謡ベストテン』のアナウンス担当は別の方に替わっていましたが、その頃からランキングの勢力が少し変わり、それまでは殆ど登場していなかった森進一さん、青江三奈さん、布施明さんなどが徐々にベストテン入りを果たすようになったのも、もしかすると番組プロデューサーが交替した影響ではないかと推察されます。(次回へ続く)

★ レコード 今日の1枚 ★尾上真智子 / 八幡岬

2023年9月9日

尾上真智子 / 八幡岬
Onoue Machiko / HACHIMAN MISAKI

YS-90

 

★ 元KBCアナウンサー ★

 

*1983年 歌手デビュー曲

マイナー演歌 カルト歌謡 ご当地ソング

 

 

★ レコード 今日の1枚 ★アース&ファイアー / 明日への叫び

2023年9月9日

アース&ファイアー / 明日への叫び
EARTH AND FIRE / 21st Century Show

DP-1774

 

★ オランダ ダッチサウンド ★

 

*前作「シーズン」に続いてヒット

1971年 RKBポップス・タイムで最高5位を記録

 

★ レコード 今日の1枚 ★アース&ファイアー / シーズン

2023年9月9日

アース&ファイアー / シーズン
EARTH AND FIRE / SEASON

DP-1756

 

★ オランダ ダッチサウンド ★

 

*日本での最大のヒット

1971年 日本のヒットパレード番組で軒並みNo.1を記録