ビーチ・ボーイズ / 英雄と悪漢 他
BEACH BOYS / Heroes And Villains
CP-4269
★ 松井伸一さんの今週のポピュラー・ベストテン ★
第1回ランキング 10位
2023年4月18日
2023年4月18日
★ ラジオ界のレジェンド 松井伸一さんに捧ぐ パート3 ★
松井伸一さんはCROSS FMの開局からプロデューサーとして尽力されましたが、2004年にプロデュース業を離れ、喋り手として復活されることになりました。最初に手がけられた番組がCROSS FMの「CROSS SUNDAY VIEWS」でした。「今朝も数ある番組の中から、CROSS SUNDAY VIEWSをお選びいただき有り難うございます。」で始まる音楽番組、待望のDJ松井伸一復活!でした。企画・選曲全て松井さんご自身によるもので、アシスタントDJ兼ミキサーの鶴田弥生さん、ADの阿部純子さんが一緒に「Dobbのロック塾」を制作していたラジオ仲間だったこともあって、「CROSS SUNDAY VIEWS」のヘビーリスナーとして応援していました。阿部純子さんはその後現在に至るまで「Street Noiz」のディレクターを務めています。今でもよく覚えているのが、松井さんが特に好きなアルバムとしてカーペンターズの『ナウ・アンド・ゼン』を特集して下さったことです。「今週のポピュラー・ベストテン」はどちらかというとロック寄りの番組で、僕が当時一番好きなグループはカーペンターズですと言うのが、何となく肩身が狭いような思いをしていました。ところが実は松井さんも当時からカーペンターズを高く評価しておられたことを、その時に知りました。その点はディレクターだった岸川均さんについても同様で、当時から岸川さんには怖い方という印象が強く(実際にはとても優しい方でした)、やはりロック寄りの方というイメージだったのですが、実は大学時代にグリークラブに所属しておられた影響で、美しいメロディーを持ったコーラスグループが大好きだったそうです。番組がスタートした頃の岸川さん一押しのグループは、ビー・ジーズだったと松井さんからお聞きしました。
2008年にCROSS FMの経営が替わりました。その頃に僕は松井伸一さんに往年のヒット・チャートを紹介する番組をやっていただきたいと思い、何度も何度も番組企画書を書き直し、松井さんにご出演をお願いしたことがありました。実は松井さんはその頃ラジオ界からの引退を考えられており、僕の申し出は辞退されました。とても残念でしたが松井さんのご意志を尊重し、無理に押すことはしませんでした。しかしそれから間もなくして、今の「Street Noiz」の立ち上げに当たった方々が動き出していたのです。僕は知りませんでしたが、「ベスト・オブ・松井伸一」をテーマにした音楽番組を作りたいと、松井さんに強くお願いされたそうです。松井さんも一度は決意された引退を撤回し、新たな番組制作への決意を固められたようです。それが今の「Street Noiz」であり、松井さんは入退院を繰り返しながらも、生涯現役DJを全うされました。1回目の放送から放送局名を間違えたり、リモート出演の途中で宅配便が届けられたり、いきなりトイレに立って居なくなったり、いろいろとお茶目な松井さん全開でした。局の他の番組も総出で松井さんに対するリスペクト溢れる選曲やコメントを届けたり、局の壁を越えての様々な共演が実現したり、福岡出身の有名ミュージシャンの方々がみんな僕と同じように松井さんの番組を聴いて育っていたり、松井さんが発信された音楽の輪が限りなく拡がっているのを、まさに実感しています。「Street Noiz」に関しては現在も継続している番組であり、多くのファンを掴んでいる番組ですので、敢えて僕が色々と申し上げるまでもないでしょう。
まだコロナ禍となる少し前に、音楽雑誌ミュージック・ライフの2代目の編集長だった、水上はるこさんが現在は北九州市にお住まいで、北九州の門司で水上さんのトークイベントを開催しようという企画が立ち上がりました。ゲストのブッキングを依頼された僕は、真っ先に松井伸一さんのお名前が浮かびました。水上さんにお聞きすると松井さんとはかなり以前にお逢いしたことがあるとのことで、松井さんにもご出演を快くご承諾いただきました。2020年2月8日に門司のブリックホールで、水上はるこトーク・ライブ『ロックの熱い風』ゲスト:松井伸一という豪華な企画が実現しました。実は準備の大事な時期に僕は体調を崩してしまい、充分な動きが出来なかったのですが、当日はお二人の貴重なお話がたっぷりと聞けて、満員となった会場のお客さま達にもとても喜んでいただきました。いずれ第二弾をお願いしようと考えていたのですが、その後すぐにコロナ禍となったり松井さんが入院されたりで、遂に実現に至ることは叶いませんでした。
小学生の頃からずっとヒット・チャートを追いかけて来た僕にとって、福岡のラジオ業界で特に尊敬する方が三人いらっしゃいます。KBC「今週のポピュラー・ベストテン」の松井伸一さん、RKB「ペプシ・ポップス・タイム」の井上悟さん、FM福岡「FMポピュラー・ヒット・パレード」の竹内出さん(べーさん)です。かねてからこのお三方に集まっていただいて、福岡のヒット・チャート番組に関するイベントか特番が出来ないものかと考え、竹内さんに相談したことがありました。すると「出来なくはないけど、やろうとする人が居ないだけです。あなた(僕のこと)やって下さい!」と言われました。それからずっといつかはやりたいと思い続けていましたが、とうとう実現出来ずじまいでした。しかしながらお三人のうちの、それぞれお二人ずつの共演はこれまでに既に開催されています。
2013年には松井さんと井上さんの夢の初共演となるイベントが開催され、その様子がラジオでも流れました。松井さんは与えられたランキングをわかりやすく紹介されるタイプ。井上さんは自らランキングの制作を担当され、葉書リクエスト・主要レコード店の売り上げ・海外の動向などに加えてディレクターのセンスも反映し、時代の一歩先を行くランキングの紹介に尽力されました。共演当日は井上さんは1967年の番組の年間チャートのデータをお持ちになっていましたが、それに触れる機会が少なくちょっと残念そうなご様子でした。井上さんが「なんだか雑談みたいになってしまいましたね。」と言われると、松井さんは「いや、雑談だから良かったんですよ。」と返されました。ランキングに対するお二人の対照的な姿勢が興味深かったです。
また松井さんと竹内さんは、お互いの番組の中で何度か共演されました。「Street Noiz」に竹内さんがゲスト出演された際に、僕は番組宛に「福岡のラジオ界の二大巨匠の夢の共演おめでとうございます!」とメッセージを送ったところ、お二人は「巨匠と言われるようになっちゃあおしまいだ。我々もあなた(僕のこと)と同じ(音楽の魅力を発信する)立場の人間なんですよ。」と返してくださいました。僕も松井伸一さんをはじめ、ラジオ業界・音楽業界の諸先輩方から教えていただいた音楽の素晴らしさを、後世に継承していく役割を担って行こうとの思いを新たにしています。
あらためまして、ラジオ界のレジェンド松井伸一さん、本当に本当に有り難うございました!
中嶋ひろ志
2023年4月17日
★ ラジオ界のレジェンド 松井伸一さんに捧ぐ パート2 ★
その後しばらくは松井伸一さんとお逢いする機会はありませんでした。僕は1985年に北九州の折尾に今の店、中古レコード・CD店ファンファンをオープンし、しばらくは店の業務に専念していましたが、いつかラジオ業界に関わる機会があればと常々考えていました。そんな折、1993年に地元北九州にラジオ局 CROSS FMが誕生しました。当時の店の常連さんの中に、CROSS FMで番組制作をされている方がおられて、その方から松井伸一さんがCROSS FMに出向されているとお聞きしました。
いつか何かラジオに関わることが出来ないかと考えている時に、やはり店の常連さんとして毎週のように来店されていた、北九州のバンド NEW DOBBのベーシストDobbさんから音楽番組の企画のお誘いを受けました。何度もミーティングを重ねて企画書を作成し、CROSS FMの松井さんをお訪ねしました。松井さんは頭髪こそ白くなられていましたが、以前と変わらず若々しくダンディで颯爽としておられました。企画書をご覧いただき、とても良い企画だが実現に際しては、金銭上の問題やディレクターの人材の問題があるので、検討しますとの事でした。なかなか現実は難しいと思っていましたが、しばらくして「取りあえず番組をスタートしてみましょう。金銭面はまだ考えなくていいです。ディレクターはこちらで用意します。」と言ってくださいました。
そして2001年8月10日に CROSS FM「Dobbのロック塾」が、松井伸一さんをプロデューサーとしてスタートしました。僕は毎週コーナー選曲を担当し、月1回は1時間をフルに使って主に60年代~70年代のある年ある月の月間チャート・ベスト20を集計し、20曲全てを番組で紹介しました。番組を始める際に松井さんに、KBCなど他局の局名や番組名を言っても構いませんかとお訪ねしたところ、「過去に放送された番組名によって当時の状況をより鮮明に思い出すので、むしろ積極的に言ってください。往年のラジオ番組は一放送局だけのものではなく、ラジオ界共通の財産ですから。」と言われました。
番組をスタートしてから、松井さんにも是非ご出演いただきたいと思っていたのですが、当初は局の方針で松井さんはプロデュース業に専念ということで、なかなかご出演いただけませんでした。しかし途中から方針が変わり、松井さんのラジオ出演が解禁となりました。そして2002年5月17日にいよいよ夢に見た松井さんとのラジオでの共演が実現しました。松井さんと僕等レギュラー陣による往年のヒット・チャートの再現は、まさに僕にとって感無量の出来事でした。その時のランキングです。
*中嶋ひろ志の音故知心~1969年5月度 月間チャート・ベスト20
1位 グッドバイ/メリー・ホプキン
2位 ふたりのシーズン/ゾンビーズ
3位 輝く星座/フィフス・ディメンション
4位 雨/ジリオラ・チンクェッティ
5位 ジョーク/ビー・ジーズ
6位 恋の乾草/ファウンデーションズ
7位 行かないで/スコット・ウォーカー
8位 ゲット・バック/ビートルズ
9位 オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ/ビートルズ
10位 インディアン・ギヴァー/1910フルーツガム・カンパニー
11位 涙の街角/モンキーズ
12位 アイ・キャン・ヒア・ミュージック/ビーチ・ボーイズ
13位 タッチ・ミー/ドアーズ
14位 プラウド・メアリー/C.C.R.
15位 愛の聖書/クリス・モンテス
16位 グッド・タイムス/クリフ・リチャード
17位 ディジー/トミー・ロウ
18位 ボクサー/サイモンとガーファンクル
19位 ホールド・オン・ベイビー/ヒューマン・ベインズ
20位 メイビー・トゥモロウ/アイビーズ
「今週のビートルズ」~タックスマン(松井伸一氏 選曲)
その時に松井さんが言われたのは、「当時は自分の思うような選曲が出来る番組の方に熱が入っていて、ランキング番組に対する熱意は今ひとつだった。」ということでした。確かにLPの片面20分くらいの長い曲を番組でかけるなど、ご自身の思いどおりの選曲が出来る番組に較べて、与えられた選曲をかけるランキング番組に対する熱量はやや低かったのかも知れません。その後長年に渡る松井さんの番組での選曲の中に、ヒットチャート的な要素は薄かったように感じます。しかしやはりご自身が担当した番組の中で、最も多くの人に影響を与えたのが「今週のポピュラー・ベストテン」であることも充分自覚しておられたようで、「ありがたいことです!」と常々言っておられました。
そんな折「今週のポピュラー・ベストテン」の35周年記念の特番が予定されていることを松井さんからお聞きし、僕もお手伝いすることになりました。久々にKBCにお邪魔して、企画会議にも参加させていただきました。そこで僕は松井さんのパートでは第1回のランキングをまるまる再現することを提案、マニアックすぎるのでは?という反対意見も出ましたが、松井さんは僕の意向を全て受け入れて下さいました。早速音源と資料を用意し、2003年1月2日当日のスタジオでは松井伸一さんとディレクター岸川均さんの夢のコンビ復活を目の前で拝見しました。岸川さんが松井さんに振るキューは、限りなく美しいまさに芸術品でした。
僕がCROSS FMに出入りしていた頃、松井さんから「今週のポピュラー・ベストテン」以前に担当されていた番組のランキングのコピーをいただきました。松井さんが初めて担当された音楽番組はカントリーの番組だったそうですが、その次に担当されたのが「森キャン・サテライト・ヒット・パレード」でした。元々は高崎一郎さんが担当で東京から全国ネットされていた「キャンディ・ベスト・ヒット・パレード」でしたが、1963年の秋から松井さんが受け継ぎKBC独自のランキングを発表するようになったのが「森キャン・サテライト~」で、まさにKBCのサテライト・スタジオからの放送でした。当時はヴィレッジ・ストンパーズの「ワシントン広場の夜はふけて」が非常に強く、12週連続No.1でした。またリトル・ペギー・マーチやレスリー・ゴーアなどのガールポップも他番組に較べて強かったのですが、松井さんは「実は自分の主観がかなり入ってました。(笑)」と言われてました。その後アメリカのヒット・チャートを紹介する番組に替わったようですが、岸川さんが当時はまだ貴重だった輸入盤レコードを海外から取り寄せておられたそうです。アメリカで「American Top 40」がスタートするのが1970年、日本で湯川れい子さんの「全米トップ40」がスタートするのが1972年なので、かなり時代を先取りしていたことになります。
その後も松井さんは何度も僕等の番組にご出演くださいましたが、当時の選曲はその後「Street Noiz」に至るまで担当された、様々な番組でのスタイルが既に出来上がっていました。その頃に松井さんと僕の出演する番組を聴いたラジオ仲間から、松井さんと僕の声質が似ているので、どちらが喋っているかわからなくなる時があると言われたことがあります。もちろんベテラン中のベテランの松井さんと、特に専門の喋りの勉強をした訳でもない素人の僕とでは、天と地どころではない差があるのは充分承知していますが、意識せずとも知らず知らずのうちに、松井さんの話し方の影響を受けていたことは間違いないと思います。
中嶋ひろ志
2023年4月15日
★ ラジオ界のレジェンド 松井伸一さんに捧ぐ パート1 ★
2023年4月5日に、福岡のラジオ界のレジェンド、松井伸一さんが逝去されました。KBC~CROSS FM~LOVE FMと長きに渡って音楽の素晴らしさを発信し、御年84歳まで現役DJを続けられました。おそらく世界最高齢のラジオDJと言ってよいでしょう。松井さんに音楽的な影響を受けた人々は、ラジオ業界の方、有名ミュージシャンの方から一般リスナーの方に至るまで、数知れません。僕もいろいろな形で松井さんに関わらせていただき、言葉で言い尽くせないほどお世話になりました。僕が洋楽を聴くようになったのも、多くは松井さんのお陰です。この場を借りて松井伸一さんとの関わりを文章化しながら、松井さんへの感謝の意を表したいと思います。
僕が最初に松井伸一さんの番組を聴いたのは、KBCラジオの「今週のポピュラー・ベストテン」でした。WEB上では「KBC今週のポピュラーベスト10」のWikipediaが、松井伸一さんに関わる部分が大幅に加筆されています。
1967年10月4日にスタートしたこの番組は44年間近く続いた、KBCの最長寿番組です。僕は第1回の放送から聴いていました。翌週10月11日からベストテンのランキングの発表が始まっています。当初は洋楽に混じって、日本のGSもランキングに入っていました。
1967年10月11日のベストテン
1位 花のサンフランシスコ/スコット・マッケンジー
2位 モナリザの微笑/タイガース
3位 愛こそはすべて/ビートルズ
4位 北国の二人/ジャッキー吉川とブルー・コメッツ
5位 あなただけを/ジェファーソン・エアプレイン
6位 バラ色の雲/ヴィレッジ・シンガーズ
7位 ロック天国/ピーター・ポール&マリー
8位 マイ・ベスト・フレンド/ジェファーソン・エアプレイン
9位 サイレンス・イズ・ゴールデン/トレメローズ
10位 英雄と悪漢/ビーチ・ボーイズ
松井さんのランキングの発表の仕方は、とてもリズミカルで歯切れ良くかっこ良く、しかも当時小学生だった僕にも、とても聴き取りやすい発音でした。“今週の第1位は先週3位だったビートルズの「愛こそはすべて」”といった具合に、先週からの動きも含め、タイトルは全て邦題で紹介して下さいました。
僕は第1回のランキング発表からずっと記録を取っていたので、毎年年末には1位20点、2位19点・・・20位1点としてその年の年間チャートを作成し、番組宛に送っていました。年末最終週にはその年に1位を獲得した曲を特集すると共に、僕が集計した年間チャートを僕の名前と共に紹介して下さいました。その後、確か1969年と1973年あたりに番組の公開放送があり、その時に松井さんとも直接お逢いする事が出来ました。松井さんが実は僕が通っていた高校の大先輩であったことも、その頃に知りました。
1974年の4月から僕は地元北九州を離れ、東京の大学へ通うようになりましたので、リアルタイムで番組を聴くことは出来なくなりました。しかし番組ではランク表を発行していたので、1ヶ月毎くらいにその月のランク表をまとめて送っていただき、番組のランキングは把握していました。そして1974年の夏休みに北九州へ帰省した際に久々に聴いた番組のランキングは、3位「ロックン・ロール黄金時代」モット・ザ・フープル、2位「輝ける7つの海」クイーン、1位「僕の瞳に小さな太陽」エルトン・ジョンと、東京とは全く様子の異なる、今思えばあまりにも時代を先取りしたものでした。その後クイーンの「輝ける7つの海」は1位まで上り詰めましたが、何と世界的なブレイクに先駆けた世界初のNo.1獲得であった訳です。更に1977年にチープ・トリックの「甘い罠」でも同じく世界初のNo.1獲得という快挙を成し遂げています。
1977年には大学の卒論のテーマとして『ヒット・パレードの歴史と今後の課題』を取り上げ、資料集めのためにKBCを訪問しました。ちょうど「今週のポピュラー・ベストテン」「今週の歌謡ベストテン」「今週のフォーク・ベストテン」の3番組の合同企画会議が行われるところで、僕も同席させていただきました。番組ディレクターの岸川均さんにもご挨拶し、アナウンサー室におられた松井さんとも、ゆっくりとお話する機会が持てました。KBC保存のランキング資料にところどころ抜けがあり、逆にこちらが局へ資料を提供した部分もありました。(なんと第1回のランキングがまるまる抜けていたりした)
また確か山口にお住まいの方で、もうひとり番組へランキングを送られている方がおられて、松井さんからその方をご紹介いただきました。その方とは直接お逢いする機会はありませんでしたが、お互いの資料の不足している部分を補い合い、その方が作成した番組の歴史や総合ランキングなどを記載した立派なノートを、松井さんから見せていただきました。その方は配点方法が僕のものとは異なっており、1位により大きなポイントを配点しておられました。
松井伸一さんは1979年9月をもって番組を降板され、二代目の富田薫さんへと引き継がれました。松井さんの降板を知り、松井さんが担当された12年間のトータル・チャートを急遽集計して、番組宛に送り紹介していただきました。松井伸一さんが担当された期間の年間No.1曲は下記の通りです。
1968年 ヘイ・ジュード/ビートルズ
1969年 ふたりのシーズン/ゾンビーズ
1970年 レット・イット・ビー/ビートルズ
1971年 アナザー・デイ/ポール・マッカートニー
1972年 アイルランドに平和を/ポール・マッカートニー&ウイングス
1973年 イエスタデイ・ワンス・モア/カーペンターズ
1974年 バンド・オン・ザ・ラン/ポール・マッカートニー&ウイングス
1975年 キラー・クイーン/クイーン
1976年 ボヘミアン・ラプソディ/クイーン
1977年 ホテル・カリフォルニア/イーグルス
1978年 伝説のチャンピオン/クイーン
1979年 ドリーム・ポリス/チープ・トリック
中嶋ひろ志