★ ラジオ界のレジェンド 松井伸一さんに捧ぐ パート2 ★
その後しばらくは松井伸一さんとお逢いする機会はありませんでした。僕は1985年に北九州の折尾に今の店、中古レコード・CD店ファンファンをオープンし、しばらくは店の業務に専念していましたが、いつかラジオ業界に関わる機会があればと常々考えていました。そんな折、1993年に地元北九州にラジオ局 CROSS FMが誕生しました。当時の店の常連さんの中に、CROSS FMで番組制作をされている方がおられて、その方から松井伸一さんがCROSS FMに出向されているとお聞きしました。
いつか何かラジオに関わることが出来ないかと考えている時に、やはり店の常連さんとして毎週のように来店されていた、北九州のバンド NEW DOBBのベーシストDobbさんから音楽番組の企画のお誘いを受けました。何度もミーティングを重ねて企画書を作成し、CROSS FMの松井さんをお訪ねしました。松井さんは頭髪こそ白くなられていましたが、以前と変わらず若々しくダンディで颯爽としておられました。企画書をご覧いただき、とても良い企画だが実現に際しては、金銭上の問題やディレクターの人材の問題があるので、検討しますとの事でした。なかなか現実は難しいと思っていましたが、しばらくして「取りあえず番組をスタートしてみましょう。金銭面はまだ考えなくていいです。ディレクターはこちらで用意します。」と言ってくださいました。
そして2001年8月10日に CROSS FM「Dobbのロック塾」が、松井伸一さんをプロデューサーとしてスタートしました。僕は毎週コーナー選曲を担当し、月1回は1時間をフルに使って主に60年代~70年代のある年ある月の月間チャート・ベスト20を集計し、20曲全てを番組で紹介しました。番組を始める際に松井さんに、KBCなど他局の局名や番組名を言っても構いませんかとお訪ねしたところ、「過去に放送された番組名によって当時の状況をより鮮明に思い出すので、むしろ積極的に言ってください。往年のラジオ番組は一放送局だけのものではなく、ラジオ界共通の財産ですから。」と言われました。
番組をスタートしてから、松井さんにも是非ご出演いただきたいと思っていたのですが、当初は局の方針で松井さんはプロデュース業に専念ということで、なかなかご出演いただけませんでした。しかし途中から方針が変わり、松井さんのラジオ出演が解禁となりました。そして2002年5月17日にいよいよ夢に見た松井さんとのラジオでの共演が実現しました。松井さんと僕等レギュラー陣による往年のヒット・チャートの再現は、まさに僕にとって感無量の出来事でした。その時のランキングです。
*中嶋ひろ志の音故知心~1969年5月度 月間チャート・ベスト20
1位 グッドバイ/メリー・ホプキン
2位 ふたりのシーズン/ゾンビーズ
3位 輝く星座/フィフス・ディメンション
4位 雨/ジリオラ・チンクェッティ
5位 ジョーク/ビー・ジーズ
6位 恋の乾草/ファウンデーションズ
7位 行かないで/スコット・ウォーカー
8位 ゲット・バック/ビートルズ
9位 オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ/ビートルズ
10位 インディアン・ギヴァー/1910フルーツガム・カンパニー
11位 涙の街角/モンキーズ
12位 アイ・キャン・ヒア・ミュージック/ビーチ・ボーイズ
13位 タッチ・ミー/ドアーズ
14位 プラウド・メアリー/C.C.R.
15位 愛の聖書/クリス・モンテス
16位 グッド・タイムス/クリフ・リチャード
17位 ディジー/トミー・ロウ
18位 ボクサー/サイモンとガーファンクル
19位 ホールド・オン・ベイビー/ヒューマン・ベインズ
20位 メイビー・トゥモロウ/アイビーズ
「今週のビートルズ」~タックスマン(松井伸一氏 選曲)
その時に松井さんが言われたのは、「当時は自分の思うような選曲が出来る番組の方に熱が入っていて、ランキング番組に対する熱意は今ひとつだった。」ということでした。確かにLPの片面20分くらいの長い曲を番組でかけるなど、ご自身の思いどおりの選曲が出来る番組に較べて、与えられた選曲をかけるランキング番組に対する熱量はやや低かったのかも知れません。その後長年に渡る松井さんの番組での選曲の中に、ヒットチャート的な要素は薄かったように感じます。しかしやはりご自身が担当した番組の中で、最も多くの人に影響を与えたのが「今週のポピュラー・ベストテン」であることも充分自覚しておられたようで、「ありがたいことです!」と常々言っておられました。
そんな折「今週のポピュラー・ベストテン」の35周年記念の特番が予定されていることを松井さんからお聞きし、僕もお手伝いすることになりました。久々にKBCにお邪魔して、企画会議にも参加させていただきました。そこで僕は松井さんのパートでは第1回のランキングをまるまる再現することを提案、マニアックすぎるのでは?という反対意見も出ましたが、松井さんは僕の意向を全て受け入れて下さいました。早速音源と資料を用意し、2003年1月2日当日のスタジオでは松井伸一さんとディレクター岸川均さんの夢のコンビ復活を目の前で拝見しました。岸川さんが松井さんに振るキューは、限りなく美しいまさに芸術品でした。
僕がCROSS FMに出入りしていた頃、松井さんから「今週のポピュラー・ベストテン」以前に担当されていた番組のランキングのコピーをいただきました。松井さんが初めて担当された音楽番組はカントリーの番組だったそうですが、その次に担当されたのが「森キャン・サテライト・ヒット・パレード」でした。元々は高崎一郎さんが担当で東京から全国ネットされていた「キャンディ・ベスト・ヒット・パレード」でしたが、1963年の秋から松井さんが受け継ぎKBC独自のランキングを発表するようになったのが「森キャン・サテライト~」で、まさにKBCのサテライト・スタジオからの放送でした。当時はヴィレッジ・ストンパーズの「ワシントン広場の夜はふけて」が非常に強く、12週連続No.1でした。またリトル・ペギー・マーチやレスリー・ゴーアなどのガールポップも他番組に較べて強かったのですが、松井さんは「実は自分の主観がかなり入ってました。(笑)」と言われてました。その後アメリカのヒット・チャートを紹介する番組に替わったようですが、岸川さんが当時はまだ貴重だった輸入盤レコードを海外から取り寄せておられたそうです。アメリカで「American Top 40」がスタートするのが1970年、日本で湯川れい子さんの「全米トップ40」がスタートするのが1972年なので、かなり時代を先取りしていたことになります。
その後も松井さんは何度も僕等の番組にご出演くださいましたが、当時の選曲はその後「Street Noiz」に至るまで担当された、様々な番組でのスタイルが既に出来上がっていました。その頃に松井さんと僕の出演する番組を聴いたラジオ仲間から、松井さんと僕の声質が似ているので、どちらが喋っているかわからなくなる時があると言われたことがあります。もちろんベテラン中のベテランの松井さんと、特に専門の喋りの勉強をした訳でもない素人の僕とでは、天と地どころではない差があるのは充分承知していますが、意識せずとも知らず知らずのうちに、松井さんの話し方の影響を受けていたことは間違いないと思います。
中嶋ひろ志