松野達也 / ハート・ボックス
Tatsuya Matsuno / Heart Box
C25G-0350
★ 1984年 ピンナップポスター付き ★
*TVアニメ『金田一少年の事件簿』の主人公役をはじめ
多くの役柄を担当している声優
現在は松野太紀として活動
2024年4月11日
C25G-0350
★ 1984年 ピンナップポスター付き ★
*TVアニメ『金田一少年の事件簿』の主人公役をはじめ
多くの役柄を担当している声優
現在は松野太紀として活動
2024年4月11日
2024年4月11日
2024年4月11日
2024年4月11日
MR-5056
★ 1975年 ファーストアルバム ★
*瀬尾一三がA面すべての編曲
木森敏之が2曲の作曲とB面すべての編曲を担当
演奏陣も豪華なラインナップ
石川鷹彦、チト河内、村上秀一、高中正義、
羽田健太郎、新室内楽協会 他多数
2024年4月11日
僕が大学時代にラジオ制作実習・卒論を担当していただいた先生が、
日本におけるランキング番組の草分け「ユア・ヒット・パレード」の
初代パーソナリティの方であったことは以前お知らせした通りです。
とは言っても「ユア・ヒット・パレード」自体、
もう30年以上も前に終了した番組であり、
ご存じない方のほうが圧倒的に多いと思いますので、
番組とその周辺の状況を、簡単にご紹介しておきましょう。
僕の印象では「ユア・ヒット・パレード」と言えば、
映画音楽が妙に強い、ちょっと変わった番組という感想を持っていましたが、
1976年4月の番組改編を持って姿を消す事になりました。
まさに僕が茂木先生に教えていただいていた真最中でした。
当時映画音楽は既に数多い音楽ジャンルの一つに過ぎないという位置付けにあり、
映画音楽中心の番組の存在価値が、
希薄になって来ていたという印象は否めません。
因みにRKBラジオで放送されていた、
鬼橋美智子さん(おにちゃん)の「ユア・ヒット・パレード」は、
全くの別番組ですが、洋楽の日にはオリジナルの方の
「ユア・ヒット・パレード」の話題が取り上げられる事も多々ありました。
文化放送の「ユア・ヒット・パレード」は、1955年10月1日にスタート。
実はその前に既に高崎一郎さんによる同種の番組が存在したそうですが、
「ユア・ヒット・パレード」の知名度が圧倒的に高く、
全国ネットもされていたので、日本におけるランキング番組の草分けと言えば、
「ユア・ヒット・パレード」を指す事が多いようです。
毎週土曜日の夜8:00〜8:30の30分番組で、パーソナリティは
文化放送の茂木幹弘・田中まり子、両アナウンサーが担当しました。
当時はまだテレビはあまり普及しておらず、最大の娯楽と言えば映画という時代、
そのため映画音楽を中心とした番組作りが特徴でした。
番組の構成はベストテン(後にベスト20)のランキングを紹介し、
上昇曲の中から選出した曲、及び上位3曲を放送するというもので、
途中に新曲紹介と新着映画紹介のコーナーを設けていました。
最初のランキングは2週目の10月8日に放送されました。
1 ロック・アラウンド・ザ・クロック/ビル・ヘイリーと彼のコメッツ
2 ベニスの夏の日(旅情)/ロッサノ・ブラッツィ
3 はだしのボレロ/ユーゴ・ウィンターハルター楽団
4 恋人よわれに帰れ/トニー・マーティン
5 パリのお嬢さん/ジャクリーヌ・フランソワ
6 モンマルトルの丘/コラ・ヴォケール
7 セレソ・ローサ/ペレス・プラード楽団
8 チャ・チャ・チャは素晴しい/エンリケ・ホリン
9 デビー・クロケットの唄/ウォルター・シューマン
10 グリズビーのブルース/ラリー・アドラー
上位3曲を映画音楽が独占したということで、大いに話題になったようです。
更に3週後の10月29日には、ヴィクター・ヤング楽団の「エデンの東」が
ベストテン入りしますが、この曲こそ78週間No.1獲得(不連続)、
更にリバイバル公開時の1963年、1971年にもNo.1となる、
おそらく日本の洋楽史上最大のヒット曲なのです!
主演のジェームス・ディーンが自動車事故により急死するという悲劇が、
この曲の人気を決定的なものにし、番組には毎週毎週
「エデンの東」への「涙のリクエスト」が殺到したそうです。
「ユア・ヒット・パレード」は翌1956年7月15日から、
毎週日曜日の夜9:30〜10:00というゴールデン・タイムに移動、
その直後にロックン・ロールの王者、エルヴィス・プレスリーが、
「ハートブレイク・ホテル」で初のベストテン入りを果たしています。
続いて1957年1月9日には、ラジオ東京(現TBSラジオ)が
洋楽のランキング番組「今週のベスト10」をスタートさせました。
当初は毎週水曜日の午後2:05〜3:00という、
学生や勤め人にはいささか聴き辛い時間帯でした。
(当時一般家庭にテープ・レコーダーなどあろう筈もなかった時代です)
映画音楽もランク入りしてはいましたが、どちらかと言えば
エルヴィス・プレスリーやパット・ブーンに代表される
ポピュラー・シンガーの歌の方が強かったようです。
またこちらでも「エデンの東」はロング・ヒットとなりましたが、
あまりに強すぎるため遂に引退という形でランキングから外してしまいました。
随分と抗議の葉書が集まったようですが、
結局引退取り消しはしなかったそうです。
1958年にはポール・アンカが来日を果たし、爆発的な人気を集めました。
(もっとも素行面では色々とあったようですが)
特に「ユア・ヒット・パレード」では、6月29日放送分で、
1位「君はわが運命」、2位「ダイアナ」、3位「クレイジー・ラブ」
4位の「エデンの東」をはさんで、5位にまたまた「ロマンスの鐘は鳴る」と、
なんとポール・アンカ1人で上位5曲中、4曲を独占。
この年の年間チャートにも、ベストテン内に3曲を送り込んでいます。
またこの年には音楽雑誌「ミュージック・ライフ」が7月号より、
主要レコード店の集計による洋・邦のポピュラーの売上ランキングの掲載を開始。
7月号に掲載された5月の売上でも、
外国盤の上位はポール・アンカが独占しています。
1959年にはテレビの「ザ・ヒット・パレード」がスタート、
更に1960年代に入ると、
ニッポン放送の「キャンディ・ベスト・ヒット・パレード」
文化放送の「9500万人のポピュラー・リクエスト」も参入。
ヒット・パレード黄金時代が繰り広げられ、
「ユア・ヒット・パレード」はそのリーダー的役割を果たし続けました。
その辺りの状況は、また次の機会にということで・・・
なお今回書きました中で、主に番組初期の状況につきましては、
学生時代に茂木幹弘先生から直接お聞きした話に基づいています。