★ ラジオ界のレジェンド 松井伸一さんに捧ぐ パート1 ★
2023年4月5日に、福岡のラジオ界のレジェンド、松井伸一さんが逝去されました。KBC~CROSS FM~LOVE FMと長きに渡って音楽の素晴らしさを発信し、御年84歳まで現役DJを続けられました。おそらく世界最高齢のラジオDJと言ってよいでしょう。松井さんに音楽的な影響を受けた人々は、ラジオ業界の方、有名ミュージシャンの方から一般リスナーの方に至るまで、数知れません。僕もいろいろな形で松井さんに関わらせていただき、言葉で言い尽くせないほどお世話になりました。僕が洋楽を聴くようになったのも、多くは松井さんのお陰です。この場を借りて松井伸一さんとの関わりを文章化しながら、松井さんへの感謝の意を表したいと思います。
僕が最初に松井伸一さんの番組を聴いたのは、KBCラジオの「今週のポピュラー・ベストテン」でした。WEB上では「KBC今週のポピュラーベスト10」のWikipediaが、松井伸一さんに関わる部分が大幅に加筆されています。
1967年10月4日にスタートしたこの番組は44年間近く続いた、KBCの最長寿番組です。僕は第1回の放送から聴いていました。翌週10月11日からベストテンのランキングの発表が始まっています。当初は洋楽に混じって、日本のGSもランキングに入っていました。
1967年10月11日のベストテン
1位 花のサンフランシスコ/スコット・マッケンジー
2位 モナリザの微笑/タイガース
3位 愛こそはすべて/ビートルズ
4位 北国の二人/ジャッキー吉川とブルー・コメッツ
5位 あなただけを/ジェファーソン・エアプレイン
6位 バラ色の雲/ヴィレッジ・シンガーズ
7位 ロック天国/ピーター・ポール&マリー
8位 マイ・ベスト・フレンド/ジェファーソン・エアプレイン
9位 サイレンス・イズ・ゴールデン/トレメローズ
10位 英雄と悪漢/ビーチ・ボーイズ
松井さんのランキングの発表の仕方は、とてもリズミカルで歯切れ良くかっこ良く、しかも当時小学生だった僕にも、とても聴き取りやすい発音でした。“今週の第1位は先週3位だったビートルズの「愛こそはすべて」”といった具合に、先週からの動きも含め、タイトルは全て邦題で紹介して下さいました。
僕は第1回のランキング発表からずっと記録を取っていたので、毎年年末には1位20点、2位19点・・・20位1点としてその年の年間チャートを作成し、番組宛に送っていました。年末最終週にはその年に1位を獲得した曲を特集すると共に、僕が集計した年間チャートを僕の名前と共に紹介して下さいました。その後、確か1969年と1973年あたりに番組の公開放送があり、その時に松井さんとも直接お逢いする事が出来ました。松井さんが実は僕が通っていた高校の大先輩であったことも、その頃に知りました。
1974年の4月から僕は地元北九州を離れ、東京の大学へ通うようになりましたので、リアルタイムで番組を聴くことは出来なくなりました。しかし番組ではランク表を発行していたので、1ヶ月毎くらいにその月のランク表をまとめて送っていただき、番組のランキングは把握していました。そして1974年の夏休みに北九州へ帰省した際に久々に聴いた番組のランキングは、3位「ロックン・ロール黄金時代」モット・ザ・フープル、2位「輝ける7つの海」クイーン、1位「僕の瞳に小さな太陽」エルトン・ジョンと、東京とは全く様子の異なる、今思えばあまりにも時代を先取りしたものでした。その後クイーンの「輝ける7つの海」は1位まで上り詰めましたが、何と世界的なブレイクに先駆けた世界初のNo.1獲得であった訳です。更に1977年にチープ・トリックの「甘い罠」でも同じく世界初のNo.1獲得という快挙を成し遂げています。
1977年には大学の卒論のテーマとして『ヒット・パレードの歴史と今後の課題』を取り上げ、資料集めのためにKBCを訪問しました。ちょうど「今週のポピュラー・ベストテン」「今週の歌謡ベストテン」「今週のフォーク・ベストテン」の3番組の合同企画会議が行われるところで、僕も同席させていただきました。番組ディレクターの岸川均さんにもご挨拶し、アナウンサー室におられた松井さんとも、ゆっくりとお話する機会が持てました。KBC保存のランキング資料にところどころ抜けがあり、逆にこちらが局へ資料を提供した部分もありました。(なんと第1回のランキングがまるまる抜けていたりした)
また確か山口にお住まいの方で、もうひとり番組へランキングを送られている方がおられて、松井さんからその方をご紹介いただきました。その方とは直接お逢いする機会はありませんでしたが、お互いの資料の不足している部分を補い合い、その方が作成した番組の歴史や総合ランキングなどを記載した立派なノートを、松井さんから見せていただきました。その方は配点方法が僕のものとは異なっており、1位により大きなポイントを配点しておられました。
松井伸一さんは1979年9月をもって番組を降板され、二代目の富田薫さんへと引き継がれました。松井さんの降板を知り、松井さんが担当された12年間のトータル・チャートを急遽集計して、番組宛に送り紹介していただきました。松井伸一さんが担当された期間の年間No.1曲は下記の通りです。
1968年 ヘイ・ジュード/ビートルズ
1969年 ふたりのシーズン/ゾンビーズ
1970年 レット・イット・ビー/ビートルズ
1971年 アナザー・デイ/ポール・マッカートニー
1972年 アイルランドに平和を/ポール・マッカートニー&ウイングス
1973年 イエスタデイ・ワンス・モア/カーペンターズ
1974年 バンド・オン・ザ・ラン/ポール・マッカートニー&ウイングス
1975年 キラー・クイーン/クイーン
1976年 ボヘミアン・ラプソディ/クイーン
1977年 ホテル・カリフォルニア/イーグルス
1978年 伝説のチャンピオン/クイーン
1979年 ドリーム・ポリス/チープ・トリック
中嶋ひろ志